楽しかったって言ってくれた日
昨日娘とショッピングに行きました。
娘が買い物へ行きたいから連れて行ってほしいと私に言ったからです。
娘と行ったことのないショッピングセンターで洋服などあれこれ見てはいくつか私も娘もお洋服をかいました。
今までは全額私が払っていたのですが、娘もアルバイトを始めて数ヶ月が経ったのでいくらかは払ってもらってもいいのではないか?その方が自立を促すことになるのではないかと、娘が払えそうな金額だけ払ってもらいました。
2人でランチをし、結局5時間ぐらい買い物していました。
店員さんがちょっと面白いキャラの人がいて、その人のことを思い出して2人で笑い合いました。
そしたら、昨日夜、今日は楽しかったってポツリと娘がいいました。
いつも楽しいってどういうこと?
楽しいって感情がわからないって言ってる娘が今日は楽しかったってそう言ったのです。
彼女にとってどんなことが具体的に良かったのかはわかりませんが、楽しいって気持ちになれたってことは凄く嬉しいし、もしもまた昨日の楽しかった気持ちを忘れてしまったとしても今後も彼女にとってそういう日が増えたらいいなーと思っています。
1度目の自殺未遂
今日この穏やかな春の日・・・
娘は今、私の両親のいる田舎へ遊びに行っていません。
この晴れ晴れとした気持ち・・・
解放感・・・
娘の一挙一投足を気にしなくていいこの時間が正直とても穏やかな私の心に繋がっています。
鬱状態がかなり改善し、社会復帰を果たしてアルバイトができるようにまでなって数か月が過ぎた今でも彼女の顔色、言葉づかい、態度、動作、行動すべてを毎日気にして生きています。
我が子にこれほどまで気を使って生きるようになったのは娘が自殺未遂をしてからのことです。
そう、もう2年近く前から毎日の生活が変わってしまいました。
私の生き方も私という人間も私の心もすべてが・・・
でも母親ならきっとみんな同じようになるばずです。
この子が生きてくれるなら・・・
2年近く前の夏のあの日・・・
娘が精神科からもらっていた薬を大量服用して自殺未遂を図った時、私は仕事で働いていたので、すぐに気づいてやれませんでした。
仕事を終えて家に帰った時、ベッドで寝ている娘の様子がおかしいことに気づいた私は
「どうしたの?」と聞いたら
「薬をいっぱい飲んだ」と娘は言いました。
私はすぐに気づいてやれなかったこと、そこまで追い込まれていた気持ちに気づいてやれなかったこと、いろんな気持ちが入り混じって彼女に言った言葉は「ごめんね」でした。
その私の「ごめんね」をその時の彼女はどう受け止めたのかはわかりません。
ただ、彼女は「首を横にふり、私が悪い・・私が悪いの・・・」と言って泣いていました。
それからすぐに病院へ連れて行き幸い命を失うことはありませんでした。
病室ではただ死んだ魚のような目をしてぼーっとしている娘の横でこれからどうなっていくのかもわからずただ不安とショックで娘にかける言葉も思いつかずただただ沈黙だけが続いていたように思います。
娘がその時来ていたTシャツのhappyという文字がまったく似つかわしくなくて余計に悲しくなったことを覚えています。
看護士さん達も訳あり親子が入院してきてちょっと笑顔がひきつったような・・・
その空気感も辛かった・・・・
結局、その普通の病院に入院したのは数日間だったように思います。
私はその間もどうしてもはずせない仕事があったので、遠方に行っていた実家の母に夜中に電話をしました。事情を話ているうちに涙が溢れてそこで初めて私は泣きました。
翌日実家の母が来てくれたのですが、そこで母に言われた言葉が「小さい頃、あの子ママが仕事行ってて毎日寂しいって言ってたから・・・あの子寂しかったんやで」と。
今、このタイミングで私のことをこの人は責めるんだ・・・とそこでとてつもない怒りと悲しみがこみあげてきたことを私は忘れることができません。
いつもそうだった・・・
悪気はないのだろけど私の母は小さな頃から私に冷たく私にきつい言葉を投げかけてくる人でそのたびに私は傷ついて悲しかったのです。
そしてこんなおばさんになってもまだ私を責めるだね。
私はどれだけ頑張れば許されるのだろう?
私はどれだけ素晴らしい人間になれば母に認められるのだろう?
そんなことをずっとずっと考えてきた自分をもう解放してやらなくていけない。
だってこんな自分だから娘もきっとこんなことになったのだから・・・
そんな複雑にからみあった問題点を見つめられるようになったのは娘のおかげで娘の鬱病がなかったらきっと今もその問題点を見つめられなかった気がします。
さて、今日はこのへんで。
鬱病の子を持つ親になったら
はじめまして。
tobenaitorisanといいます。
久しぶりに文字を書く気持ちになり、ブログでも始めてみようかと思い今日からこちらのはてなブログさんで書かせていただくことにしました。
突然ですが、私には鬱病だった娘がいます。
鬱病だった・・・?そう肯定していいのかどうなのかわかりません。
まだ治ったのか治っていないのか?私にはそれすらよくわからない病気なので。
でも今は一応、鬱病だった娘ということにしておきます。
彼女がひどい鬱病だと私がちゃんと認識したのは・・・もう2年近く前になります。
鬱病の治療を彼女に受けさせたのはもっと前からで、彼女が高校時代までさかのぼります。
その頃はまだそれほど深刻な状態ではなかったので、治療も数か月ぐらいだったように思います。
しかし、彼女が大学生になりまた鬱状態になり、大学へ通えなくなった時に
彼女に「あなたはどうしたいの?」と聞いたら
彼女が答えた答えは
「死にたい」でした。
その時の私のショックは大変大きなものでしたが、それはまだ序章に過ぎないことをその時の私はまだ知りませんでした。
ところで、家族が鬱病になったらみなさんはどうされますか?
きっとネットで鬱病についてたくさん調べることでしょう。
私もそうでした。
家族が鬱病になったらどうサポートしていけばよいのか?
インターネットを検索すればたくさん出てきます。
そして鬱患者はとても大変だと知らされます。
が、その家族は大変ではないのか?というと同じぐらい大変です。
これはもちろんそれぞれの家庭で度合いも異なると思います。
でも共倒れになる人もいるぐらい家族も大変になるケースもあります。
でもそんな家族を誰がサポートしてくれるのでしょう?
鬱病患者を支えるのは家族としてじゃあその家族を支えるのは誰?
友人?身内?
友人、身内のうちどれぐらいの人が状況や気持ちを理解できると思います?
私の娘が初めて「死にたい」と口にしてから2年後初めて彼女は自殺未遂を図りました。
ある日突然、何の前触れもなく。
この状況を理解できるようになるまで私にはかなりの時間がかかりました。
そして、ショックという簡単な言葉では表せない気持ちが潜在意識の中にすりこまれて今も尚、立ち上がれずにいる自分に憤りや苛立ちを感じています。
娘が前を向いて歩き始めた時、私も同じように前を向いて歩いていけるか?って?
親は神様でも仏様でもスーパーマンでもありません。
同じただの人間です。
傷ついた気持ちを抑えながらひたすら子供が生きてくれるためにどうするか?を考えた毎日・・・
この気持ちを誰にだったら理解してもらえるのだろうか?
そんなことを考えながら今までのことを少しづつ書いていこうかと思っています。